ふっくらと丸い撫川うちわ
撫川うちわ
「撫川うちわ」の特徴は、ふっくらと丸みを帯び均整のとれたおたふく形にあります。
また、歌継ぎや透かし絵とともに涼をさそう上品な趣きがあります。
全体は、非常にていねいな作りで、やや大ぶりな普通の品に見えますが、1本の女竹の柄の先を64の小骨に分割、特製の楮(こうぞ)和紙を貼った扇面の図柄は上部が雲形、下部は花鳥風月などが多く繊細優美な手作りの品です。
特徴は図柄の「歌継ぎ」にあります。
扇面の天の部分に草書体で俳句が横に書かれていますが、雲形模様に見えるこの文字が実は天地2枚の別々の紙を貼り合わせた継ぎ目になっており、うちわを光の方へ向けると文字が透けて鮮明に読みとれます。
もう一つの特徴は、「すかし」です。
白い地紙の間に挟みこまれた模様の一部、たとえば月や花などの部分のみ地紙の表裏が切り抜かれていて、光をとおして鮮やかに浮き出し、図柄の情趣をより効果的に表現しています。
機能面からみれば、精選した材料と作りのよさは柄の先端を机上におくとバランスがとれ、軽やかで使い心地がよいものです。
見て楽しめ、優雅で、よく風がくる、と三拍子そろって、観賞用・実用どちらでも楽しめます。
撫川うちわの歴史
元禄時代(1688〜1704)備中庭瀬(現在の岡山市)で作られ、現在もその技術が受けつがれ、制作されています。
藩内を流れる足守川の岸辺に群生する女竹を利用して、最初は備中庭瀬の板倉藩士が内職に作っていたのを、隣の撫川知行所の戸川家の家中が習い、作り始めたといいます。
これが参勤交代の両国諸大名の目にとまり、土産品として買われ、次第に有名になったといわれています。
のち土地の商人が製造販売に加わり「撫川うちわ」の名が現在まで残っています。
文化が進み機械工業の発達につれて、実用的で価格の安いうちわが大量に出まわるようになり、撫川うちわのような熟練と手数がかかり高価なものは、自然淘汰され衰退の一途をたどって来ました。
戦後は電気製品の発達により、うちわの需要も少なくなり一時は途絶えていましたが、坂野定香氏が中心になって、撫川うちわを復活させました。
また、後継者育成と、撫川うちわを広く知ってもらうことを目的に、吉備公民館(岡山市庭瀬)において、昭和55年11月より撫川うちわ製作実習講座を開き、この受講生の中から保存会結成の話が持ち上がり、坂野氏を会長として、昭和60年2月、撫川うちわ保存会「三杉堂」が結成されました。
昭和57年3月には、岡山県伝統的工芸品として指定されました。

